3分でわかる技術の超キホン 嗅覚受容体と匂いのメカニズム|匂いの識別・定量化
1.嗅覚と匂い
「五感」とは、ヒトが有する代表的な感覚機能で、触覚、視覚、聴覚、味覚、及び嗅覚を示します。
このうち「嗅覚」は、嗅覚器官「鼻」を通じて得られる感覚で、いわゆる「匂い」のことです。
また「匂い」とは、その多くが分子量約300以下の有機低分子及びその混合物であり、鼻の感覚細胞を刺激する揮発性有機物質(VOC)のことです。現在、「匂い」物質は数十万種類あると推定されています。
2.嗅覚受容体
匂いは、「匂い」物質が鼻腔の嗅細胞(嗅繊毛)に発現する7回膜貫通型受容体の1種である嗅覚受容体に結合(構造認識)することで知覚されます。
嗅覚受容体は、ゲノム解析の結果からヒトでは約400種類が存在しており、哺乳類、鳥類、両生類、及び魚類においてその数は様々であることが確認されています。
【表1 生物における嗅覚受容体の数】
生物 | 受容体数 | |
哺乳類 | ヒト | 396 |
マウス | 1130 | |
ラット | 1207 | |
イヌ | 811 | |
鳥類 | ニワトリ | 211 |
両生類 | カエル | 824 |
魚類 | ゼブラフィッシュ | 154 |
フグ | 47 |
3.嗅覚(匂い)のメカニズム
匂いが知覚されるメカニズムは、次の様に説明されます。
先ず、「匂い」分子が鼻腔に取り込まれ、嗅上皮を覆っている嗅粘液に溶け込み、嗅細胞(嗅繊毛)に発現している嗅覚受容体と結合(構造認識)します。
嗅覚受容体に「匂い」分子が結合すると、受容体のGタンパク質が活性化され、次いで、Gタンパク質によって直接活性化されるアデニル酸シクラーゼが、ATPからセカンドメッセンジャーであるcAMPの生成反応を触媒します。
cAMP濃度が上昇するとイオンチャネルが開き、細胞外から陽イオンが細胞内に流入します。
その結果、細胞の内外に電位差(脱分極)が生じ、この活動電位が嗅細胞から脳へと神経細胞を通じて匂いに関する情報を伝達します。
簡単に言うと、「匂い」分子の匂いに関する情報は、受容体に結合するところから始まり、細胞内の情報伝達物質によって電気信号へと変換されて、神経細胞を通じて脳に送られることで、匂いは知覚さているということです。
【図1 嗅覚のメカニズム1)】
4.「匂い」分子の計測
匂いは揮発性有機物質(VOC)ですので、ガスクロマトグラフィー(GC)を使って、分離分析と定量分析が可能です。
更に、その分離成分を質量分析計(MS)で検出するガスクロマトグラフィー質量分析法(GC/MS)では、有機低分子の混合物を網羅的に解析することができます。
この手法に基づいて、花王株式会社は匂いを可視化する技術「ScentEYE」を開発し、2018年に公開しています。ScentEYEによる、不快感を伴う刺激臭「イソ吉草酸」の分析事例を以下に挙げます。
対象とした被験者は20代の健常男性で、測定のタイミングは、1.入浴後(夜)、2.通勤後(翌朝)、及び3.就業後(翌日夕方)です。
イソ吉草酸の検出量はng/cm2で表記されており、成分量は色相で、赤色が高く、紫色が低いことを示しています。この技術では、対象物の部位ごとの「匂い」分子の種類と成分量を正確に可視化することができます2)。
【図2 匂い見える化のイメージ図】
5.匂いの識別
嗅覚受容体は、「匂い」分子の化学構造を認識します。
即ち、異なる「匂い」分子であっても、同一の特性基を有していたり、部分構造が類似している場合には、同じ受容体と結合する可能性があるということです。
他方、「匂い」分子は、単一の特定受容体に結合するとは限らず、複数の受容体によって認識されます。
ヒトでは約400種類ある嗅覚受容体のどれと、どの程度の親和性で結合するかによって匂いは異なります。
同じ官能基を有していて、構造の類似性が高い「匂い」分子にも拘らず、双方で違った匂いを知覚するのはこのためです。
更に、匂いは、「匂い」分子の組み合わせや、濃度、温度、及び湿度などの環境要因によっても大きく変化します。
【図3 嗅覚受容体による匂い分子の識別】
6.匂いの定量化(数値化)・匂いセンサ
前述のGC/MSを使用した匂いの計測は、特定の「匂い」分子を検出し、標準物質に基づいて定量し、その存在量を数値化することはできます。
しかしながら、嗅覚受容体による「匂い」分子の識別までは加味されていないため、実際に知覚される匂いそのものは定量できていないということになります。
近年、この課題を解決すべく、匂いを定量化(数値化)する匂いセンサの開発が進められています。
例えば、株式会社香味発酵は、複数の嗅覚受容体を個別に発現させた真核細胞をアレイに配列担持し、匂いに接触した受容体の応答による細胞内カルシウム濃度の変化を蛍光色素で計測することで、匂いを定量化(数値化)する技術を開発しています3)。
更に、カルシウムインジケーターによって細胞内カルシウム濃度の経時変化を高い時間分解能で計測し、得られたシグナルをAIで解析することで、匂いの刺激性や余韻に関連する応答特性を検出できるまでに至っています4)。
【図4 ヒト嗅覚受容体センサのイメージ図(光の強度を円柱として表現)】
匂いセンサの世界市場は、2030年に約130億ドル(約2兆円)とそのポテンシャルが予測されています。
今後、匂いセンサの実用化は加速し、我々に利便性をもたらしながら、その市場規模は拡大していきます。
(日本アイアール株式会社 特許調査部 K・H)
≪引用文献、参考文献≫
- 1)日本耳鼻咽喉科学会会報, 2015, 118(8), 1072–1075.
- 2)花王株式会社 ニュースリリース(Webサイト)
「微量のにおい成分を可視化する“ScentEYE(セントアイ)”技術を開発」
https://www.kao.com/jp/corporate/news/rd/2018/20180306-002/ - 3)WO 2019/035476 A1
- 4)生産と技術, 2020, 72(2), 78-80.