デジタルヘルスの要素技術② 心拍・脳波センシング技術編
この連載では、デジタルヘルスの要素技術について解説しています。
今回は、心拍や脳波などのデータを測定する生体センシング技術です。
目次
1.心拍・脳波センシング技術とは
「生体センシング技術」は、ヒトの状態をデジタルデータ化して治療や健康管理につなげるデジタルヘルスの中核となる技術です。
対象となるデータは心拍、体温、血圧、呼吸といった、いわゆる「バイタルサイン」から、脳波、睡眠、ストレス、血液、汗、尿などの分析など多岐にわたります。
測定機器としては、ヒトが身につけた状態で測定可能なウェアラブル機器の他、カメラの映像や電波(ドップラー効果)を用いて測定する非接触型の機器も開発されています。
これらの生体センシング技術の中でも、特に心拍の変動や脳波などを測定する技術は、様々なサービスへの応用が期待される注目の分野となっています。
2.スマートウォッチの測定原理
心拍を測定するデジタル機器としてまず思い浮かぶのは、Apple Watch®️やFitBit®️などのスマートウォッチだと思います。
このスマートウォッチは、腕時計型の機械を用いて心拍データや血中酸素濃度などの生体情報が測定できるのですが、生体情報の測定には主に2種類のセンサーを使用します。
(1)光学式心拍センサー
光学式心拍センサはー、血液中の赤血球に存在するヘモグロビンに吸収される性質を有する緑色のLED光を皮膚の上から血管に当て、跳ね返ってくる反射光の強さが脈拍に伴って変化することを利用して心拍データ(脈波)を測定します(「光電式容積脈波記録法」と呼びます)。
手首表面のすぐ下には静脈が通っているので、光学式心拍センサーは腕時計型のスマートウォッチには最適な測定方法なのです。
(2)加速度計
加速度計は、スマートウォッチに加わった力の大きさを加速度の大きさとして測定します。
加速度計のデータは寝返りなど身体の動きを反映するため、睡眠の深さや日中の活動量を測定することができます。
多くのスマートウォッチは、これらのセンサーのデータを人工知能(AI)など特定のアルゴリズムで解析することによって、睡眠の深さや「レム睡眠」、「ノンレム睡眠」といった睡眠の質を推定する機能など、私たちの健康管理に役立つ機能に応用しています。
光学式心拍センサーは、本体裏面で緑色の光を点滅させていますので、スマートウォッチをお持ちの方は一度注目してみてくださいね。
3.心拍や脳波のセンシング技術は、非侵襲・非接触が中心に?
会社の健康診断などで年一回心電図を測定している方も多いと思いますが、心電図の測定はベッドの上で手足と胸に多くの電極を装着するなど、測定に手間や負担の大きいものでした。
一方、スマートウォッチは、腕に巻いて装着するだけという手軽さで、主要なバイタルサインである心拍を継続して測定できることから健康管理に使用する人が増えてきています。
このような、身体に負担がかからない(非侵襲)測定技術や、さらに身体に接触しない(非接触)測定技術は、測定していることを意識させずに常時連続した測定ができるのでメリットが大きいのです。
以下に注目の非侵襲・非接触生体センシング技術をご紹介します。
(1)非接触で脈波を測定するセンサー「エモコアイ」(三菱電機)
三菱電機株式会社は、富士通コンポーネント株式会社、株式会社カレアコーポレーションと共同で、24GHzドップラー方式を用いて計測した脈波から「集中度」「リラックス度」「眠気度」「疲労度」といった人の感情を推定することが可能なセンサー「エモコアイ」を2022年に開発しました1)。
この「エコモアイ」は、センサーの大きさが44mm×22mmと小型で、近距離から最大6mまで非接触で脈波を計測することができ、家電などに搭載することを目的にしています。
(2)超軽量・小型イヤホン型脳波測定デバイス「b-tone」(凸版印刷)
凸版印刷株式会社は、耳に装着して脳波、心拍および加速度を測定することで集中状態など、使用者の心理状態を可視化できるイヤホン型デバイス「b-tone(ビートーン)」を2021年に開発しました2)。
従来の脳波測定デバイスには頭部に装着するヘッドギアタイプなどがありましたが、本製品は装着が面倒ではなく、目立ちにくいため、長時間の自然な測定を可能としています。
デジタルヘルスに使用するウエアラブルデバイスは、日常生活の中で継続して使えることが大切であり、腕時計やイヤホン型など、デザイン性や心理的な負担の軽減も普及に向けた工夫として重要になっています。
4.心拍や脳波のセンシング技術は応用分野が幅広い
生体センシングデバイスで測定した心拍や脳波の変動は、心臓や脳に由来する病気を発見することができるだけでなく、人間の感情の推定にも使用することができます。
私たちの心臓や脳の働きは、緊張状態の時に活発になる交感神経や、リラックス状態の時に働く副交感神経といった「自律神経」によって調節されていることがよく知られています。
つまり、今回ご紹介した心拍や脳波の測定デバイスを使用することによって、使用者自身が不快に感じていたり疲れていたりする状態を数値として「見える化」することができるのです。
先ほどご紹介した三菱電機株式会社の「エモコアイ」は、2023年2月に同社から発売予定の新しいルームエアコンに搭載される予定3)になっており、遠隔で測定した心拍データから「集中度」や「リラックス度」、「眠気度」、「疲労度」を推定して最適な風の当て方を工夫してくれます。
さらに、心拍などのデータから自動車を運転中の疲労度合いを推定して、安全な運転に繋げることもできます。既に疲労ストレスを計測する機器もいくつか市販されており、バス会社と共同でドライバーの過労運転防止の実証実験なども行われています4)。
このように、心の健康を保つことは、病気や事故を防止する上でも重要であることから、心拍などのデータを測定して心の状態を推定する技術は、「感情センシング技術」と呼ばれ、医療機器としての他にも様々な業界で研究が進められています
5.心拍・脳波センシング技術のこれから
このように、心拍または脳波を測定することで、私たちの気持ちや感情を読み取るSFのような世界は、実はすぐそこまで来ているのです。
医療や、家電、自動車など私たちの生活をより便利にしてくれる可能性を秘めている技術なのですが、一方で、本当は隠しておきたい感情や、自分自身も気がつかない深層心理を他の人に知られてしまう危険性もあります。
欧州では、人の感情を認識するAIを「ハイリスクAI」として透明性を確保するなどの規制が提案されています5)。
技術とプライバシーのバランスをとりながら、今後心拍・脳波センシング技術が発展することを期待したいと思います。
次回は、在宅やベッドサイドでの臨床検査を可能にする「ポイントオブケア検査(POCT)技術」をご紹介したいと思います。
(アイアール技術者教育研究所 A・S)
≪参考文献≫
- 1)三菱電機株式会社ニュースリリース(2022年9月6日)
https://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2022/0906.html - 2)凸版印刷株式会社ニュースリリース(2021年9月7日)
https://www.toppan.co.jp/news/2021/09/newsrelease210907_1.html - 3)三菱電機株式会社ニュースリリース(2022年11月1日)
https://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2022/1101.html - 4)株式会社LIFE-BEINGプレスリリース(2022年11月14日)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000104229.html - 5)欧州委員会「人工知能に関する調和の取れたルールを定める規則の提案」(総務省資料)
https://www.soumu.go.jp/main_content/000826706.pdf