化学

リシンは毒?アミノ酸?2つの「リシン」の違いを解説

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リシン:猛毒? アミノ酸?

皆さんの中には「リシン」という猛毒による要人暗殺が計画された等の物騒な報道を耳にした人がおられると思います。一方で、「リシン」という名称のアミノ酸があったはずだと思う人もいるかもしれません。
では、アミノ酸のリシンが猛毒になるのでしょうか?
実は、ここで混同されやすい「リシン」には、全く別の2つの物質があります。

1.猛毒のリシン(Ricin)とアミノ酸のリシン(Lysine)は別物質

結論から言えば、猛毒のリシン(Ricin)とアミノ酸のリシン(Lysine)は、カタカナ表記は同じですが、全くの別物質です。両者を比較したのが表1です。

 

【表1 カタカナ表記が「リシン」の2物質】

英語表記 Ricin Lysine
分類 タンパク質 アミノ酸
分子量 約65,000 約146
性質 猛毒 人体に必須

英語では「Ricin」と「Lysine」は明確に区別されます。しかし、日本語では R と L の違いをカタカナで表しにくいため、どちらも「リシン」と表記されてしまいます。これは、日本語で外来語を扱う際の弱点が、化学・生命科学の用語で表面化した例と言えるでしょう。

「Rice」と 「Lice」のような一般的な単語の混同であれば、文脈から意味を補えることもあります。
しかし、人体にとって真逆の性質を持つ2つの物質が同じカタカナ表記になることは、単に紛らわしいだけでは済まない問題です。

 

2.猛毒のリシン(Ricin)

リシン(Ricin)」とは、トウゴマという多年草の種子に含まれているタンパク質です。
この物質は、細胞内でタンパク質合成を担っているリボソームに作用し、その働きを止めることで、最終的に細胞死を引き起こします。
その機構は以下のように説明されています1)

  • ① リシン(Ricin)はA鎖(毒性の本体)とB鎖(細胞への侵入部位)がS-S結合(ジスルフィド結合)で連結している。
  • ② B鎖が細胞表面の糖鎖に結合することで、リシンは細胞内に取り込まれる。
  • ③ A鎖が細胞内部に放出される。
  • ④ A鎖はリボソームRNAの特定部位を損傷させ、リボソームによるタンパク質合成を阻害する。
  • ⑤ A鎖は酵素のように作用し、多数のリボソームを不活化するため、ごく少量でも細胞に深刻な影響を与える。

 

3.アミノ酸のリシン(Lysine)

リシン(Lysine)」の構造を図1に示します。
このアミノ酸は人体内では作ることができないので、食物としての摂取が必要な必須アミノ酸です。
肉類、魚介類、卵、大豆製品、ゼラチンなどに多く含まれています。

 

L-(+)-Lysineの構造
【図1 L-(+)-Lysineの構造】

 

また、リシンには、タンパク質中で重要な役割を果たす特徴的な性質があります。タンパク質を形成するポリペプチド結合に関与しない、側鎖アミノ基(ε-アミノ基)を有する点です。
この側鎖により、タンパク質が合成された後に化学修飾される(タンパク質の翻訳後修飾と呼ばれる)性質が生まれ、多くの生命活動にも影響を与えることが明らかになりつつあるため、近年注目されています2)

 

4.両者の歴史

(1)猛毒リシン(Ricin)

トウゴマは古代エジプト時代から栽培されており、その種子が有毒であることは経験的に知られていたとされています。ただ何が毒かはずっと不明のままでした。

1888年にエストニアのタルトゥ大学で研究していたStillmarkが、トウゴマの種子抽出物に血球を凝集させる作用があることを報告しました。この発見は、後にレクチン研究の出発点の一つと位置づけられる重要な成果となりました。
しかし、細胞に障害を与える詳しい機構は当初は解明されておらず、その後の分子生物学の進展により、リシンがリボソームに作用してタンパク質合成を阻害する仕組みが明らかになっていきました。

 

(2)アミノ酸のリシン(Lysine)

リシン(Lysine)の発見は他のアミノ酸よりも遅れました。アスパラギン酸が1806年、システインが1810年頃に発見されたのに対して、リシン(Lysine)の発見は1889年でした。リシン(Lysine)は塩基性アミノ酸であり、当時の分離・精製技術では単離が難しかったことが、発見が遅れた一因と考えられます。そして20世紀の初頭に、栄養学研究の発展により、必須アミノ酸であることが確認されました。

両者の発見は猛毒のリシンが1888年、アミノ酸のリシンが1889年とほぼ同時期なのですが、これは偶然です。

 

5.混乱防止に向けた対策

両者を混同すると、誤解や不適切な情報伝達につながるおそれがあります。
そのため、カタカナ単独での表記を避け、次のように補足することが望ましいでしょう。

  • ① 「リシン(Ricin)」あるいは「リシン(Lysine)」という形で英語を併記する。
  • ② 「猛毒タンパク質のリシン」あるいは「アミノ酸のリシン」の形で分野を限定する。

同じ「リシン」というカタカナ表記であっても、猛毒タンパク質のリシン(Ricin)と、必須アミノ酸のリシン(Lysine)は全く別の物質です。一方はごく少量でも生命に重大な影響を及ぼし得る毒素であり、もう一方は私たちの体に欠かせない栄養素です。

RとLの違いがカタカナ表記に反映されにくいことは、日本語で外来語を扱う際の大きな課題の一つです。化学物質名や医薬・食品関連の用語では、似た名称の違いが大きな誤解につながることがあります。専門用語を扱う際には、カタカナ表記だけに頼らず、英語表記や物質の分類も確認することが大切です。

 

(日本アイアール株式会社 特許調査部 N・A)

 


《引用文献、参考文献》

  • 1) S. Olsnes etc., Ricin, Toxicon 39(11), 1723-1728(2001)
  • 2) L. Cesaroa etc., A Comparative Analysis and Review of lysyl Residues Affected by Posttranslational Modifications. Current Genomics 16, 128-138(2015)

 

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