近赤外分光法(NIR)とは?基本原理から物性予測・応用例までわかりやすく解説

物質の性質や成分を調べる方法として、光を利用する「分光分析」が広く用いられています。紫外可視分光法(UV-Vis)は物質の色や電子状態に関する情報を、赤外分光法(IR)は分子振動に由来する情報を得る手法として知られています。これらの分光分析は、物質の同定や構造解析、成分分析などに役立つ強力な手段です。
一方、製造現場では「何が含まれているか」を調べるだけでなく、「今、このラインを流れている液体の濃度は何%か」「この錠剤の品質特性や粉末の水分量は規格内か」といった情報を、できるだけ早く、できるだけ試料をそのままの状態で把握することが求められます。こうしたニーズに応える分析技術として注目されているのが、「近赤外分光法(NIR)」です。NIRは、非破壊・非接触で測定しやすく、さらに統計解析と組み合わせることで、成分濃度や水分量、物性値の推定に活用できる分光法です。
本記事では、近赤外分光法(NIR)の基本原理から、IRとの違い、物性予測への活用、製造現場での応用例までをわかりやすく解説します。
目次
1.NIRスペクトルの正体とその特異性
NIR(近赤外線)は、可視光と中赤外線の間に位置するエネルギーを持ちます。IRが「基本振動」を捉えるのに対し、NIRが主に捉えるのは分子振動の「倍音(Overtones)」や「結合音(Combination bands)」という、いわば高調波の微弱な響きです。
一見すると、NIRのスペクトルはピークが重なり合い、IRのような明快な「指紋」は見えません。しかし、この「一見して読み取れない複雑な波」こそが、実は物質の物理的・化学的状態を多角的に含んだ情報の宝庫なのです。個々のピークは広く重なり合っていますが、スペクトル全体の形状には、成分組成、水分量、粒子径、密度など、試料の化学的・物理的情報が反映されています。統計解析を用いることで、スペクトルからは直接読み取りにくい濃度・水分量・硬度などの物性値を推定できるため、NIRは「ソフトセンサー」として活用されています。
分析から「物性予測」の時代へ
NIRの大きな特徴は、IRに比べて試料内部まで届きやすい「高い透過性」にあります。光が試料内部まで届きやすいため、条件によってはガラス容器越しや袋越しの測定が可能になります。
今回のテーマは、この「扱いにくいが情報量の多いNIRスペクトル」を、いかにして「物性予測」や「定量モデル」という実益に変えていくかという点にあります。単なる分析手法を超え、AIや統計学と融合した「ソフトセンサー(計算によって値を推定する仮想センサー)」としてのNIRの真価を、その基礎から、ケモメトリックスを用いた定量モデルの考え方まで解説していきます。
2.近赤外スペクトルの基礎原理
- 近赤外光の波長範囲: 一般に約780〜2500 nmの領域(図1、表1)。
- 振動のメカニズム: 基本振動(IR)ではなく、「倍音」と「結合音」を捉える。
楽器に例えるなら、IRが基音を聴く方法だとすれば、NIRはその上に重なる高次の響き、すなわち倍音や複数の振動が組み合わさった結合音を捉える方法といえます。これらの吸収は、分子振動が理想的な調和振動子からずれる「非調和性」によって生じます。 - 得意な結合: C-H(油・樹脂)、O-H(水)、N-H(タンパク質)など、水素を含む結合に由来する倍音・結合音はNIR領域に現れやすく、水分、脂肪、タンパク質などの定量に利用されています。

【図1 波長による光の分類】
【表1 光の性質と分子振動特徴】
| 領域 | 略称 | 波長範囲 | エネルギー | 人の目での見え方 | 分子の振る舞い | 測定上の特徴 |
| 可視光 | VIS | 約380〜780nm | 高い | 目に見える虹色 (紫〜赤) | 電子遷移 | 目に見える色、表面情報 |
| 近赤外 | NIR | 約780〜2500 nm(0.78〜2.5 µm) | 中 | 不可視。赤色光に隣接 | 倍音・結合音 | 高い透過性、非破壊、前処理が少ない |
| 中赤外 | MIR | 約2.5〜25µm | 低い | 不可視 | 基本振動 | 分子の指紋、高い吸収率(薄膜が必要) |
| 遠赤外 | FIR | 約25µm〜1mm | 極めて低い | 不可視。熱として感じられる領域 | 回転・格子振動 | 熱放射、テラヘルツ波に近い性質 |
3.近赤外光のエネルギーと「倍音・結合音」
分子は特定の波長のエネルギーを吸収して振動しますが、近赤外光がターゲットとするのは、中赤外(IR)が捉える「調和振動」とは異なる、「非調和振動」という現象です。
(1)「倍音」とは何か?
分子の結合をバネに例えると、IRはバネが1段階だけ伸び縮みする「基本音」を捉えます。
一方、近赤外領域では、分子が基本振動より高い振動エネルギー準位へ遷移することで、基本振動の約2倍、3倍に相当するエネルギーの吸収が現れます。これが倍音(Overtones)です。
- 基本振動(主に中赤外領域): 分子振動の基準となる吸収。
- 倍音(近赤外領域): 基本振動の約2倍、約3倍に相当する高次の吸収。ただし、実際の分子は非調和性を持つため、厳密な整数倍からはずれます。
(2)「結合音」とは何か?
複数の異なる振動モード(例えば、伸び縮みする振動と、折れ曲がる振動)が同時に起こり、それらのエネルギーが合わさったものを結合音(Combination bands)と呼びます。

【図2 近赤外~中赤外領域の倍音・結合音と基本音の吸収比較】

【図3 近赤外領域の代表的な吸収バンド】
4.近赤外光の「透過性」
IRに比べて、NIRの光が物質の奥深くまで届く(透過性が高い)ことには、明確な物理学的理由があります。それは、近赤外領域の吸収強度が中赤外領域に比べて小さいからです。
(1)遷移確率が低いこと
物理学の世界では、倍音や結合音による吸収は、基本振動に比べて一般に弱く、近赤外領域の吸収強度は中赤外の基本振動より小さくなります。そのため、NIR光は試料内部まで届きやすくなります。
- IR(中赤外):吸収が強いため、光は試料表面付近で大きく減衰し、内部まで届きにくくなります。
- NIR(近赤外): 吸収が比較的弱いため、多くの光が試料内部まで到達しやすくなります。
(2)透過性のメリット:サンプリングの革命
この「吸収の弱さ」こそが、実用面では大きな利点になります(表2)。
- 深い情報の取得が可能: 表面だけでなく、粉末の内部や液体の深部まで光が届くため、サンプル全体の平均的な情報を得ることができます。
- 容器越し・包装越し測定に適用しやすい: ガラス容器や一部の樹脂包装は近赤外光を比較的透過しやすいため、条件によっては容器越し・包装越しの測定が可能です。ただし、樹脂自体にもC-H由来の吸収があるため、材質や厚み、散乱の影響を考慮した補正やモデル構築が必要になります。
【表2 NIRの物理的性質】
| 特徴 | 物理的理由 | 実務上のメリット |
| 倍音・結合音 | 分子振動の高次の吸収を捉える | 水分、脂肪、タンパク質などの成分評価に利用できる |
| 吸収が弱い | 遷移確率が低いため、光が減衰しにくい | サンプルを薄くする必要がない(数mm〜数cmの厚みで測定可能) |
| 透過性が高い | 吸収が弱く、試料内部まで光が届きやすい | インライン監視や非破壊検査に適用しやすい |
5.NIRとIRの比較(メリット・デメリット)
直接的な「指紋」を見るIRに対し、透過力の高い「響き」を多変量解析によって解き明かすのがNIRの真髄です。つまり、IRは分子構造の確認や同定に強く、NIRは非破壊・リアルタイム測定や定量予測に強いという違いがあります。
(1)メリット
① 高い透過性
- 中赤外は吸収が強く、薄い試料や表面近傍の測定に適している。
- NIRは吸収が弱く、数mm〜数cm程度の厚みを持つ試料にも適用しやすい。
- 「袋越し」「容器越し」での測定が可能。
② 前処理を大幅に減らせる
- 粉末を固めたり、溶液を薄めたりせず、そのまま測定できる場合が多い。
(2)デメリット:スペクトルの複雑さ
ピークが重なり合っており、目視だけでは成分や物性の変化を読み取りにくいです。そのため、複雑な情報を解析する「ケモメトリックス(化学計量学)※」という統計的手法が不可欠となります。
※ケモメトリックス(Chemometrics):化学(Chemistry)と統計学(Metrics)を組み合わせた造語。
6.応用編:物性予測と定量モデルの構築
NIRの真価が発揮されるのが、物性予測や定量モデルへの応用です。
(1)ソフトセンサーとしての活用
スペクトルから直接読み取ることが難しい「粘度」「密度」「反応率」などの物性値を、統計モデルを用いて間接的に推定します。
(2)解析プロセス
- ① 前処理:スペクトルの重なりやベースラインの変動を抑えるため、二次微分や標準正規変量変換(SNV)などを行います。
- ② 回帰分析:目的変数y(物性値)と説明変数x(スペクトル)の関係を示すモデル y = f(x)(x:スペクトル、y:物性値)を作成します。特に、多重共線性に対応できる PLSR(部分最小二乗回帰) が広く活用されます。
- ③ 波長選択:遺伝的アルゴリズム(GA)などを用いて、膨大なデータの中から予測に重要な情報を持つ波長を抽出します。
7.具体的な活用事例(プロセスの最適化)
NIRの透過性とリアルタイム性は、多種多様な産業で革新をもたらしています。
- 農業・食品: 果実を切らずに測る「非破壊選果機」での糖度測定や、土壌の成分分析に活用されています。
- 医薬品: 連続製剤プロセスにおける主薬濃度のモニタリングなど、PAT(Process Analytical Technology:プロセス解析技術)の中核を担っています。
- 化学: 重合反応の進捗(反応率)監視や、混合プロセスにおける成分の均一度評価をインラインで行うことが可能です。
8.まとめ:分析から「予測」へ
NIRは単なる同定ツールではありません。 光の透過性を活かし、サンプリングなしで内部情報を瞬時に捉え、統計解析によって品質をリアルタイムで「予測」することに真価があります。
膨大なデータから有用な情報を抽出できるNIRは、AIやプロセスインフォマティクスとも親和性が高く、製造現場の「ソフトセンサー」として活用が広がっています。品質管理を「測る」から「予測する」へ進化させる技術として、NIRの重要性は今後さらに高まっていくでしょう。
(日本アイアール株式会社 特許調査部 H・L)
《引用文献、参考文献》
- 1) Thermo Fisher Scientific, FT-NIR(近赤外分光分析法)について- はじめに
https://www.thermofisher.com/blog/learning-at-the-bench/foreign_material_ft-nir_msd_sales-1/





](https://engineer-education.com/wp/wp-content/uploads/2022/09/experimental-design_statistics_1-150x150.png)



























